胸部外科 2002年1月第55巻第1号”胸部外科の散歩道”より

ルルドへの旅

福島県立医科大学名誉教授

特定医療法人福島厚生会

理事長 星野 俊一

第14回World Congress of the Union Internationale De Phlebologie(UIP)は2001年9月8日〜14日、イタリア・ローマで開催された。UIPには36ヶ国が加盟しており、世界各地より約2000人が登録し、日本からは10数名が参加した。UIPは4年毎に開催されるが、筆者は坂口周吉日本静脈学会名誉会長から引きついでここ数回Council meetingや演題のため参加している。Phlebologyは本邦では依然としてminorな感じは否めないが、欧米や南米ではむしろmajor,で研究発表や討論に熱気すら感じられる印象であった。帰路には、かねて探訪したかったルルドを訪ねる機会を得た。9月11日にはアメリカでの同時多発テロが全世界をゆるがしたが、ヨーロッパでのフライトに影響はなく、旅程に問題はなかった。

 ルルドはフランス・ピレネー山脈の北側の裾野に位置する小さな町である。筆者がルルドに興味を持ったきっかけは、アレキシス・カレルの著者「ルルドへの旅・祈り」との出会いであった。カレルは1873年リヨンに生まれ、1906年よりロックフェラー研究所にて約32年間研究生活を送り、血管縫合術、臓器移植などの研究で1912年ノーベル生理・医学賞を受賞した。偶然な機会にスピロヘーターの純粋培養や黄熱病の研究で名を馳せた同郷の野口英世がカレルとほぼ同年代(3歳年少)で、ほぼ同時期(2年前)に約24年間ロックフェラー研究所でともに研究生活を送ったことを知った。カレルと野口はロックフェラー研究所の正メンバーとしてともに別格な存在であったが、昼食時には専用食堂で早打ちチェスに興じ、周囲をわかせた記録も残っている。カレルは医学研究者として天才的であったばかりでなく、人間と生命についての考察を進めた思想家でもあり、著者「人間、これ未知なるもの」も出版している。「ルルドへの旅・祈り」では1902年にカレルがルルドの奇跡を検証するべく付き添った巡礼団で、自身の体験を記した「ルルドへの旅」および生涯最後の年(1944年)になってようやく出版した「祈り」が納めてある。

 ルルドには1858年2月25日聖母マリアが現れ、その言葉に従い14歳の少女べルナデッタが手で土を掘ったときに沸き出した泉がある。この泉のあるマッサビエルの洞窟には年間数百万人の巡礼者、観光客が全世界から集まってくるという。1902年カレルは巡礼団の医師として訪れ、奇跡とも呼ぶべき超自然現象を体験し、レラック(カレルの逆綴り)という名の医師の体験として記述している。1858年に盲人がこの泉の水で治った奇跡的治癒が巡礼の始めになったようである。それ以来約6000件の医学的には説明できない治癒例が医師によって報告されているが、このうち64件のみが所管教会当局によって奇跡と宣言されている(Lourdes,Andre Doucet et Fils Puflication P73)。カレルは巡礼団への参加すら危険な状態であった結核性腹膜炎を患うマリー・フェランが、ルルドの泉の水を腹部に数滴ふりかけただけで治癒した奇跡を体験した。カレル自身の誤診であったのか、この超自然現象に遭遇し、実証的方法以外に確実なものは存在しないとする科学者としての内面的な葛藤を記述している。

 2001年9月14日ルルドへの旅の最初のステップとして、パリーのシャルル・ドゴール空港に着いた。市内のホテルまでタクシーをひろった。タクシー・ドライバーは40齢前後のアルメニア人で物静かな、実直そうな男であった。ぼつぼつと英語で話しかけてくるので、筆者はフランス語は全くだめなので、行き先のLourdesの正確なフランス語の発言をたずねた。彼はルルドに行くのかと言うので、病める人たちをひきつける奇跡の泉を体験したいために行くのだと説明した。すると彼は今年の夏休みに行って来たという。立ち入るのは一寸気がひけたが、その用件をたずねると、6歳の娘が生まれつきの精神障害で、病院で診て貰ってはいるが、全くよくならない。親の自分すらもはっきり認識できないようで、周囲のことにも無関心状態であるという。困りはてて、娘を連れてルルドまでパリーから900Kmをドライブして行ったという。ルルド参りのあとは、何か少し変化が見られるようで、音に敏感になり更に自分のことを少しわかってきたようだという話を聞いた。ホテルまで小1時間のタクシーの車中ではカーステレオで彼の好みのアルメニア・オペラをサービスしてくれた。ルルド訪問の前であったので、この出会いは筆者にとって強いインパクトであった。タクシーを降り際に娘さんによろしくとチップをはずんだのは言うまでない。

 インターネットで捜したルルドのホテルはクラシックなただずまいで、クリーンでしかも安価であった。フロントで地図を貰い、歩いて10分前後の道順を教えて貰った。奇跡の泉はマッサビエルの洞窟の奥にある祭壇の床タイルの下に湧き出ていた。毎日早朝にミサが捧げられているのを朝の散歩で知った。洞窟の岩壁を手で触れながら泉を見学する列に加わった。この泉の水はいくつかの貯水池に集められ、洞窟の右手にはフォンテーヌ(給水場)、左手には14個のピッシーヌ(水浴場)があった。そこで泉の水(分析では全く普通の水だという)を飲んだり、毎日数百人の病人が介助されながら水浴びしているようであった。また夜9時になると洞窟の近くにあるバジリカ大聖堂の囲りを、ローソクに灯かりをともした2〜3万人位(推定)が真暗ななかをゆっくりと賛美歌を歌いながら、行進するさまは幻想的で、思わず息をのんだ。

 カレルが体験した奇跡を追ったルルドへの旅は筆者にとってかなり強烈な印象を残すものとなった。