最近の医療過誤問題に思うこと

福島県立医科大学名誉教授・特定医療法人福島厚生会理事長・本誌編集同人

星野 俊一

最近は医療事故関連の新聞記事の見当たらない日が珍しいほど、医療過誤門題が世間を騒がせている現状である。過日の医療事故防止のシンポジウムでは、 昨年1年で全国の地裁・簡裁での医療訴訟は767件あり、うちわけは内科178件、外科177件、産婦人科114件、整形・形成外科109件などで過去最多になったと報告された。なんともやりきれない気持ちになるのは医療にたずさわる者の本音であろう。

 医師と患者の間に交わされるインフォームド・コンセントは普遍化しているが、双方の間にある若干の認識の差がトラブルの原因にもなっている。病状の説明、治療法の選択、合併症、予後などわかりやすく説明し同意を得るのが原則であるが、患者側は平常とは異なる状況下であり、若干の専門語の混じる説明の理解度も問題の種となっているように思える。一方ではインフォームド・コンセントは患者側の白紙委任状ではあり得ず、いわゆる一札を取ったという医師側の理論であれば問題は解決しない。

 心疾患の医療では治療法のいかんを問わず病状の伸展は急速であり、特に生命維持と直結していることから、これにたずさわる医療従事者のストレスは最大級のものがある。心臓病の子供を持つ親として、たとえ手術成功率が1%で あっても、黙って死を待つより希望をと考えて手術を選択するといった親の気持ちを読んだことがある。過酷なまでの判断を下す親と、それを受けて立つ医療従事者の接点は人間の信頼関係の極限でもある。

 医療行為にはいまだ成果が確立されていない手法もあることは事実であり、患者を不確実性にさらす危険性を常にはらんでいる。その危険性の積み重ねで 今日の医療があるのも事実である。いつの世においても医療には実験的側面があることは否定し得ない。  

現代は自己決定権の時代である。患者の決定権を尊重し、患者と医療側の相互理解の上に立つことが常に求められる。我々は人間愛を基盤として、人間尊重の原点に立ち戻る必要があると感じている。